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黨城(ダンソン)(史跡第217号) |
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| 三国時代に築造された黨城(ダンソン)は、西新(ソシン)・松山(ソンサン)・馬島(マド)の3つの面の境界線が交差する中心部近くの九峰(クボン)山に建てられている。城の高さ約2.5m、下段部の幅7-8m、城の周り約1,200m。しかし毀損した部分が多いため、1993年から城郭復元作業にとりかかった。新羅がこの城を改築したときに「黨項城(ダンハンソン)」と名づけ、西海(ソヘ)を通じた中国との交通の要地として活用された。南陽(ナムヤン) 洪氏の発祥の地だと伝えられている。 |
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水原古邑城(京畿道記念物第93号) |
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高麗時代以降使用されてきた水原の邑城。正祖の時代、隆陵を造成するために邑治を現在の水原に移したため大部分が損なわれた。現在は山の稜線の500m程だけがかすかに残っている。1998年に昔の水原府邑誌が発掘され、その痕跡を確認する事ができた。現在残っている土築の城は、水原古邑城の外城だと推定されている。 |
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南陽郷校(京畿道文化財資料第34号) |
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南陽洞に位置する南陽郷校は朝鮮太祖6年(1397年)に建立された。1933年と1976年にそれぞれ大々的な補修が行われた。入り口には下馬碑が置かれ、内外三門と東斎(両班の弟子が眠った場所)と西斎(庶民の弟子が眠った場所)が設置されている。また大成殿には中国の五聖二賢と韓国の十八賢が奉安されており、儒林たちが春と秋に祭祀を行っている。 |
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愼嬪金氏(シンビン キムシ)の墓[京畿(キョンギ)道記念物第153号] |
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| 朝鮮世宗(セジョン)の後宮・愼嬪金氏(シンビン キムシ)の墓。高さ2.2m周囲22m。墓の周囲には墓碑や四角い長命灯、文人石、床石が置かれ、また全体が曲墻で囲まれている。墓碑文は金守温(キム・スオン)が作り、字は安恵(アンへ)が書いたと伝えられている。 |
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徐居正先生の墓(京畿道有形文化財第136号) |
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徐居正(ソ・コジョン)先生の墓は元来ソウルの松坡(ソンパ)区 芳荑(バンイ))洞にあったが、1975年に現在の場所である華城(ファソン)市 峰潭(ボンダン)邑に移葬された。墓誌石は先生の一代記を記録しており、総22ページのうちの19ページが現在京畿(キョンギ)道博物館に所蔵されている。 |
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南陽洪氏墓域(京畿道記念物第168号) |
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| 西新(ソシン)面 弘法(ホンボブ)里 山30番地一円に安置された洪彦弼(ホン・オンピル/1504-1585/領議政)、洪泂(ホン・ヒョン/1446-1500/右副承旨)、洪曇(ホン・ダム/1509-1576/吏曹判書)、洪振道(ホン・ジンド/1509-1576/判中樞府事)などに関連した(墓11、文人石2、望柱石10、墓碑4、床石5、ハンロ石5、神道碑5)朝鮮中期の墓域文化財。当代の徳望ある学者や政治家[趙光祖(ジョ・クァンジョ)、宋時烈(ソン・シヨル)、韓濩(ハン・ホ)]などによって清書された神道碑と墓道を見ることができる。保存の状態がよく、当時の文化水準を推し量ることができる。, |
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万年堤(京畿道記念物第161号) |
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万年堤は正祖22年5月に完成した貯水池。朝鮮後期に積極的に築造された堤堰の一つで、農業史及び当時の灌漑施設の研究のための資料となっている。 |
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朴世采の掛け軸(京畿道有形文化財第163号) |
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| 朝鮮粛宗のときに活躍した文臣であり儒学者でもあった南渓・朴世采の掛け軸。卓越した顔の描写と官服の表現手法などが素晴らしいこの掛け軸は17世紀末の功臣図風の肖像画で、人物画の研究に大変な価値を持っている。 |
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洪承仁の古家(京畿道文化財資料第74号) |
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正南面文学里にあるこの家屋は全体的に口の字型になっている。伝統的な様式で建てられており、母屋と舎廊棟の間にまっすぐな行廊棟が設けられている。またその行廊棟の中央には大門がある。 |
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白天藏(ペク・チョンジャン)先生の墓[京畿(キョンギ)道記念物第86号] |
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| 高麗時代の文臣であった白天藏(ペク・チョンジャン)先生の墓。白天藏(ペク・チョンジャン)先生は、進士として文科に合格した後、翰林学士と政堂文学を歴任した。また元の国に留学し、吏部尙書や金紫光祿大夫などを歴任した後に帰国。隋城白の位が与えられた。 |
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南怡(ナムイ)将軍の墓[京畿(キョンギ)道記念物第13号] |
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朝鮮時代の世祖(セジョ)3年[1475年]に17歳の年齢で武科に及第し、「李施愛(イシエ)の乱」のときに出征して勇猛を振るい建州衛(コンジュウィ)を征伐した南怡(ナムイ)将軍の墓。墓域は莎城に囲まれており、墓の前には床石や墓碑、望柱石が置かれている。 |
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尹棨(ユンゲ)先生の殉節碑[京畿(キョンギ)道有形文化財第85号] |
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| 尹棨(ユンゲ)先生は丙子胡乱(ビョンジャホラン)の時、南陽(ナムヤン)府使として敵に屈せず壮烈に戦って殉国した。死後に吏曹參判の官位が与えられ、忠簡公の号を受けた。碑文は宋時烈(ソン・シヨル)が作り宋浚吉(ソン・ジュンギル)が書いたもので、顯宗(ヒョンジョン)9年に建立された。 |
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